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名古屋地方裁判所 平成2年(ワ)407号 判決 1993年2月03日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

飯田泰啓

被告

株式会社プラザ地所

右代表者代表取締役

竹之下道義

右訴訟代理人弁護士

山元真士

被告

山元真士

右両名訴訟代理人弁護士

宮道佳男

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金一四三六万一三八〇円及びこれに対する平成元年一二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (被告株式会社プラザ地所の債務)

(一) 訴外甲野太郎(以下「太郎」という。)は、昭和六一年四月一日、被告株式会社プラザ地所(以下「被告会社」という。)に対し、別紙物件目録記載の建物(借地権付)を代金二億円で売り渡した。

(二) 太郎は昭和六二年二月一〇日に死亡し、原告が、他の相続人と共に、右売買契約の売主の地位を相続した。原告の相続分は、八分の一である。

(三) 右(一)及び(二)により、被告会社は、原告に対し、売買代金二億円から既払手附金、立退料、仲介業者手数料等を控除した残金一億五三五〇万円の八分の一の金額である金一九一八万七五〇〇円の内、少なくとも金一四三六万一三八〇円の支払義務(以下「本件債務」という。)がある。

2  (被告山元真士の不法行為)

(一) 被告会社から委任を受けた弁護士である被告山元真士(以下「被告山元」という。)は、昭和六二年一一月五日、原告の名を詐称した無権限の第三者に対し、同人と原告との同一性を適切な方法で確認せずに、本件債務の支払をなした。

(二) 被告会社は、買い受けた前記建物を既に転売しほかに見るべき資産がないので、原告に対する本件債務を支払う資力がない。

(三) したがって、被告山元は、前記(一)の過失ある行為により原告の本件債務の取立を不能にし、これと同額の損害を原告に与えた。

3  原告は、被告らに対し、平成元年一二月二七日、それぞれ1(三)及び2(三)記載の各金員の支払を催告した。

4  よって、原告は、被告らに対し、被告会社については売買契約に基づき、被告山元については不法行為に基づき、各自金一四三六万一三八〇円及びこれに対する催告の日の翌日である平成元年一二月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)ないし(三)の各事実は認める。

2  同2(一)の事実のうち、被告会社から委任を受けた弁護士である被告山元が、昭和六二年一一月五日、原告の名を自称した者に対し、本件債務を支払ったことは認めるが、その余は否認する。同(二)及び(三)の事実は否認ないし争う。

3  同3の事実は否認する。

三  抗弁

1  (弁済)

(一)(1) 被告会社の代理人である被告山元は、昭和六二年一一月五日、名古屋弁護士会館において、原告と名乗る年齢二〇歳代のやせ型男性(以下「本件受取人」という。)に対し、額面一四三六万一三八〇円の銀行支払保証小切手(以下「本件小切手」という。)を交付した(以下「本件弁済」という。)。

(2) 原告は、本件弁済当時、松本少年刑務所に在監中であり、同人の所属していた暴力団則竹組内武美会の組長であった訴外乙川二夫(以下「乙川」という。)の内妻訴外丙沢春子(以下「春子」という。)に対し、不在中の自己の財産管理を委託していた。

(3) 本件受取人は春子の子丙沢次郎であり、同人が春子の使者として本件小切手を受領したものである。

(二) 仮に(一)の主張が認められないとしても、本件小切手は、原告の有する原告名義の銀行口座(東海銀行今池支店出来町出張所普通預金○○○―○○○。以下「本件口座」という。)に入金されており、その時点では、原告が本件債務の弁済を受けている。

(三) 仮に(一)及び(二)の主張が認められないとしても、原告は、春子及び丙沢次郎に対し、同人らと密接な人的関係があるにもかかわらず、同人らが受領した右小切手について何らの返還請求をせず、同人らの所持にまかせている。したがって、原告は、春子及び丙沢次郎による本件弁済の受領行為を黙示に追認した。

2  (準占有者に対する弁済)

被告山元は、本件受取人に対し本件弁済をなすにつき、以下の事情によって、同人が原告であると信じたものであり、かつ、そう信じたことに過失はなかった。

(一) 被告山元は、いずれも原告の戸籍附票及び住民票に記載されていた原告住所宛に、昭和六二年九月二九日には普通郵便で、同年一〇月一九日には内容証明郵便で、それぞれ本件債務の支払をなす旨の書面を送付したところ、本件受取人から被告山元に対し、電話で右支払を受ける旨の回答があり、同人との間でその支払日及び場所を約束して、本件弁済をなしたものである。

(二) 本件受取人は、本件弁済を受ける際、被告山元が送付した右の各書面、原告名義の印鑑証明書及びその登録印鑑並びに同人名義の国民健康保険証をそれぞれ持参し、これを被告山元に示して、原告であることを確認させた。

3  (過失相殺)

(一) 原告は、自らの生活の本拠地ではない春子の住所に住民登録をしていたため、本件受取人が原告宛の郵便物を受領するに至った。

(二) また、原告は、自らが恐喝という犯罪を犯して収監されていたため、春子の住所に配達される自己宛の郵便物を回収できなかったものである。

(三) (一)及び(二)によれば、仮に原告が本件売買代金を受領できなかったとしても、それは原告自身の不相当な行為によって生じた結果である。したがって、被告らに何らかの過失があったとしても、過失相殺の法理によって原告の請求は大幅に減額されるべきである。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁1(一)(1)の事実のうち、被告会社の代理人である被告山元が昭和六二年一一月五日に原告と名乗る者に本件弁済をなしたことは認めるが、その余は不知。

同(一)(2)の事実のうち、本件弁済当時に原告が松本少年刑務所に在監中であった事実は認めるが、その余は否認する。

同(一)(3)の事実は不知。

(二)  同(二)の事実のうち、原告が本件口座を有する点を否認し、その余は認める。

本件口座は、乙川が自己のために原告名義で開設したもので、原告の有する口座ではない。

(三)  同(三)の事実は否認する。

2(一)  抗弁2(一)の事実のうち、被告山元が原告宛に被告主張の各書面を発したことは認めるが、その余は不知。

(二)  同(二)の事実は不知。

(三)  本件受取人が持参した印鑑登録証明書の印鑑登録日は昭和六二年一〇月三〇日であり、国民健康保険証も同年一一月四日の交付であって、いずれも被告山元が本件債務の支払をなす旨の書面を発した後、本件弁済直前に急遽準備されたものであることが明らかであるから、これらが示されたことをもって、本件受取人と原告とを同一人と誤信した被告山元に過失がないとはいえない。

(四)  少なくとも、本件弁済は、弁済者が自ら無権利者に対し積極的に働きかけて弁済を行った場合であるから、民法四七八条は適用されるべきではない。

3  抗弁3は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1(一)ないし(三)の各事実は、当事者間に争いがない。

二被告会社の本件債務についての抗弁事実を検討する。

1  抗弁1(一)について

(一)  被告会社の代理人である被告山元が昭和六二年一一月五日に原告と名乗る者に本件弁済をなした事実には争いがなく、右争いのない事実と〈書証番号略〉及び被告山元真士本人尋問の結果によれば、抗弁1(一)(1)の事実が認められる。

(二)  抗弁1(一)(2)の事実のうち、本件弁済当時に原告が松本少年刑務所に在監中であった事実は当事者間に争いがない。また、〈書証番号略〉及び原告本人尋問の結果によれば、原告が当時暴力団則竹組内武美会に属し、乙川がその組長、春子がその内妻であった事実が認められる。

(三)  そこで、以下、原告が右在監中に自己の財産管理を春子に委ねていたか、否かを検討する。

(1) 被告らは、春子が原告の属する暴力団の「組長の妻」という地位にある事実及び乙川ら武美会の組員が逮捕、収監されて、同組が事実上壊滅状態になった際、春子が同組組事務所を引き払って原告の私物を含む事務所内の物品を自宅で保管した事実を前提にして、春子が原告の財産を管理していたと主張する。

(2) 〈書証番号略〉及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、健康保険証を得るための便宜から昭和五九年三月二二日、春子方に住民登録をした事実及びその保険料の立替払を春子に委託していた事実がそれぞれ認められる。しかし、右程度の日常生活上の事柄と額面一四三六万一三八〇円もの本件小切手の受領とは質的に大きく異なっている。したがって、右委託の事実をもって、原告が春子に対し、本件小切手受領をも含む財産管理を全て委ねていたとは言えない。

(3) また、原告本人尋問の結果によれば、原告は自己の私物を名古屋市昭和区福江所在の建物にあった武美会の事務所において保管していたが、右在監中、同事務所が右建物から立ち退くこととなり、春子の親戚が撤収を行った事実が認められ、右事実から、春子がその後原告の私物を含む同事務所内の動産を保管していた事実が推認される。しかし、他方、原告本人尋問の結果によれば、右撤収は原告の意思に無関係になされたことが窺われ、原告が春子に自己の私物の保管を依頼したことを認めるべき証拠はない。したがって、原告の私物を春子が保管していた事実によっても、原告が春子に対し、不在中の自己の財産管理を一般的に委ねたとは到底言い難い。

(4) 他に原告が春子に対し、その財産管理を全般的に委ねていたと認めるに足りる事情は見い出せない。

(四)  よって、抗弁1(一)の主張は、その余の点を判断するまでもなく、理由がない。

2  抗弁1(二)について

(一)  本件小切手が本件口座に入金された事実は当事者間に争いがない。

(二)  そこで、原告が本件口座を有していたか否かを以下検討する。

(1) 原告本人尋問の結果によれば、〈書証番号略〉の原告名義の署名は、いずれも乙川がしたものと認められる。

そして、右各証拠、〈書証番号略〉及び原告本人尋問の結果によれば、乙川は、昭和六一年四月二二日原告外二名と訴外西井隆一との間で生じた交通事故により、訴外住友海上火災保険株式会社から原告に対して支払われる保険金の受取につき、原告から一切の事務を委ねられたところ、同年五月二三日その保険金受取のために原告名義で本件預金口座を開設し、同月二六日に入金された右保険金一〇〇万円のうち、同日金八〇万円を、翌二七日残金二〇万円をそれぞれ引き出し、うち約三五万円については原告に渡したが、それ以外の約六五万円は自己のものとした事実、及び原告は、右約三五万円を受領した以外に右の交渉経過を乙川から全く知らされておらず、本件口座の通帳を管理したこともない事実が、それぞれ認められる。

(2) 右認定の各事実によれば、本件口座は、乙川が原告に支払われた保険金の大半を私するための方便として原告名義で開設したものであって、原告の支配、管理は全く及んでいなかったと推認することができる。

(3) 右の事情以外に、原告が本件口座を管理していたことを認めるべき証拠はない。したがって、原告が本件口座を有していたとは認められない。

(三)  よって、本件小切手が本件口座に入金された事実をもって原告に対する弁済があったものと認めることはできず、抗弁1(二)の主張も理由がない。

3  抗弁1(三)について

(一)  原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、被告らによって本件小切手を詐取したと疑われている春子及び丙沢次郎をその後積極的に追及していない事実が認められる。

しかしながら、原告本人尋問の結果によれば、原告は、乙川との関係から春子らを直接追求することができにくい立場にあることが窺われるのであり、右の事実から、黙示的にせよ、直ちに原告が本件弁済を有効なものとして追認したと認めることは到底できない。

(二)  したがって、抗弁1(三)の主張も理由がない。

4  抗弁2(準占有者に対する弁済)について

(一)  〈書証番号略〉及び被告山元真士本人尋問の結果によれば、抗弁2(一)(但し、被告山元が原告宛に前記各書面を発したことについては争いがない。)及び(二)の各事実が認められる。

(二) 右の各事実によれば、本件受取人に対し本件弁済をなすにつき、同人が原告であると信じたものであって、かつ、そう信じたことに過失がなかったものと認められる。すなわち、名宛人の戸籍附票及び住民票に記載されていた住所宛に送られた内容証明郵便を受領した者が、名宛人の印鑑証明書及びその登録印鑑並びに国民健康保険証を所持していることは、その者が名宛人本人であることを強く推認させる事情というべきであるから、他に特段の事情がない限り、本件において被告山元が本件受取人が原告と同一人であるかどうかをそれ以上調査しなかったとしても、そのことに過失はないと言うべきである。

(三)  この点、原告は、印鑑登録及び国民健康保険証交付がそれぞれ本件弁済の直前になされていた事情から、被告山元に過失があったと主張する。

(1) 〈書証番号略〉によれば、本件受取人の持参した印鑑登録証明書には、右印鑑登録の日が昭和六二年一〇月三〇日である旨記載されていた事実が認められ、また、〈書証番号略〉によれば、原告名義の国民健康保険証が交付されたのは昭和六二年一一月四日であることが認められ、〈書証番号略〉と弁論の全趣旨によれば右交付日が国民健康保険証上に記載されていたものと推認される。

(2) しかし、〈書証番号略〉によれば、印鑑登録や健康保険証交付は申請によって直ちになされるものではなく、申請人の住所地に確認のための照会書を送付し、この照会書を改めて持参することではじめて印鑑登録や健康保険証交付が行われている事実が認められる。また、従前印鑑登録をせず、または、健康保険証の受領を怠っていた者が契約締結等に際し、必要に迫られて新たに印鑑登録や健康保険証の受領をすることは少なくないと考えられる。

(3) してみれば、前記印鑑登録や健康保険証の交付が、本件弁済の直前になされている事実をもって被告山元が本件受取人と原告の同一性を疑うべき事情であったとは言い難い。本件弁済においては、原告が自己都合により、生活の本拠地と異なる所に住民登録をし、かつ、その住民登録上の住所地に居住する者が原告を詐称するという特殊な事情から生じたものであり、かかる事情を被告山元において予見することは不可能であったというべきである。

(四)  また、原告は、本件のように、弁済者が自ら無権利者に対し積極的に働きかけて弁済を行った場合には、民法四七八条の適用はないと主張する。

(1) しかし、債権者が債務者に対し弁済の履行を促した場合と、債務者が債権者に対し弁済の受領を促した場合との間において、民法四七八条の適用の有無を区別すべき理由はない。

(2) もとより債務者において、積極的に虚偽の外観を作出するのに加功があった場合は別論である。しかし、この点、被告山元真士本人尋問の結果によれば、被告山元において本件受取人に対し、実印、印鑑登録証明書及び健康保険証の各持参という原告本人との同一性証明方法を指図した事実が認められるものの、右程度では積極的に虚偽の外観を作出するのに加功があったとは到底いえず、他に債務者において、積極的に虚偽の外観を作出するのに加功があったと認めるに足りる事情はない。

(3) したがって、原告の右主張は失当である。

(五)  以上によれば、本件弁済は債権の準占有者に対する弁済であって、被告山元においては、本件受取人が原告とは別人であることにつき、善意かつ無過失であったと言うことができる。

三被告山元の不法行為責任

二4認定のとおり、被告山元において、本件受取人と原告との同一性の確認につき過失は認められず、かつ、他に被告山元の過失を認めるに足りる事情は認められない。

四結論

以上のとおりであるから、その余の点を判断するまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大内捷司 裁判官矢尾渉 裁判官住山真一郎)

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